このブログサイトを立ち上げた理由を説明します【愛娘のインター転校までの歴史】
みなさんはじめまして♪
kuku(くく)です!
よろしくお願いします
まずは簡単にこのサイトの説明をします。
このブログは
- 難関の一貫校に幼稚園から入学した娘が
- 小学生の時にインターナショナルスクールに編入したので
- その時の経験や体験談をもとに
- 受験の方法や勉強法などを
- 同じような状況の親御さん&お子さんに向けて
- どこにでもいる普通の主婦の私
が書いています。
改めて皆さんこんにちわ、KuKuです。
私はどこにでもいる普通の主婦です。
夫と万年反抗期の娘と3人で暮らしています。
そしてこちらは娘の経歴です。
- 難関の一貫校に幼稚園で入学
- 小学生まで過ごす
- 小学生の途中でインターナショナルスクールに編入
- 現在
難関一貫校の幼稚園に合格し小学生まで在籍。その後インターナショナルスクールに編入しました。
一般的ではないと思います。もうすでに異色の経歴ともいえるかもしれません。
当時英語力0だった娘とインターナショナルスクールのお受験に立ち向かおうと決めたその頃ですが、まず何から手をつけていいのかも分かりませんでした。
ちなみに私もネイティブに英語を話せるわけでもありません。
分からないことがあると、とにかく検索する世の中ですが、私もその例に漏れず思いつく限りのいろんな角度から検索を繰り返しスマホとにらめっこしました。そして調べ尽くした結果分かったことですが、インターナショナルスクールの受験、編入などについては
いくらネットで検索しても有益な情報がありませんでした。
何も分からない状況から、文字通り「手探り」で情報をかき集めるところから始めなければいけませんでした。
そして右往左往しながらも結果、娘とともに受験を乗り越えることができました。
このサイト、この記事までたどり着いてくれた読者様はもしかしたら現在、当時の私と同じ様な境遇にいらっしゃるのかもしれません。
そんな方に向けて、このサイトでは娘がどうやってインターナショナルスクールに合格したのか、体験談をもとに解説していきたいと思います。
本当に。とっても苦労しましたから。
せっかくなので私のこの体験談が誰かのためになればいいな
というのがこのブログを始めた理由です
当時の私と同じ様な悩みを抱えた親御さんのお役に立てますように。
そして娘さん、息子さんが無事インターナショナルスクールに合格できますように私も願いを込めながら文字を綴っていきたいと思います。
もしかしたら入学した学校に私の娘がいるかもしれませんね♪
もしそんな偶然があったらとても幸せなことです🎵
その時は是非ランチでもしましょう♪(笑)
それではまず
何故インターナショナルスクールに編入、受験しようと思ったのか
という理由も含めて短いようで長い歴史から書いていこうと思います。
簡潔に書きたいのですが変に端折って伝わらないと嫌だったので長文になってしまいました。
気になる方は目次から、気になる部分まで飛んでみてくださいね♪
何故インターナショナルスクール?
子供が生まれる前は、「健康でさえあれば良い…」と思っていましたが、いざ生まれてみると鼻息荒くアレコレとやってみたくなるもので、気づけば教育本を片っ端から読み、良さそうな事は何でもやってみる教育熱心ママに変貌しておりました。
教育熱心ママ?
娘は1歳から某大手幼児教室に入室させ、週5は他の幼児教室含めてお教室通い。
頑張った結果早生まれでありつつも難関一貫校に幼稚園からご縁を頂け、お友達も多くとても楽しく日々を過ごした…と思っております。
私自身も附属校育ちでして、親になって初めて分かる親心がありつつ、お受験の渦中にいる時は「どこかに入れたらこの先安心♪」という気持ちがとても強かったと思います。
では何故そんな環境からインターナショナルスクールに?
というお声が聞こえてきそうですが、いろんな物語があるので(汗)現在に至るまでどの様に過ごしてきたのか順番に書いて行きます。
幼稚園生活での洗礼
娘は真面目ちゃんな優等生タイプではないのですが、小学校に上がってからは成績は常にトップ、テストも入学以来100点以外を取った事がなく、またバイオリンのコンクールで上位に入賞するなど、先生からも何となく信頼がある生徒で、親の私は自己肯定感爆上がりで心地の良いママ生活をしていたと思います。
…というと鼻持ちならない嫌な奴という感じだと思いますが(笑)こんな感じで小学校生活をスタートさせたかったのにはとっても深い理由がありました。
幼稚園生活のはじまり
娘は日本の学年では早生まれも早生まれの3月生まれで、赤ちゃんに毛が生えた位の状態で幼稚園に入園しました。
入園したのはTHE老舗の一貫校の幼稚園でしたので親にも子供にも厳格なルールがありました。しかし逆に私にはその環境が大変心地よく
ここに通っていたらこの先大丈夫
という安心感もありました。
しかし赤ちゃんに毛ですからね。
やる事なす事全てが本当に遅い。
でもその内に慣れていくものだろう
と毎日せっせとお弁当を作り、毎日せっせと紺色に身を包んで(笑)送迎を頑張っていました。
初めての子ですから「もっと一緒にいたい」という思いもありましたが、世の中の風潮に流されて自分の気持ちには蓋をし、
娘を絶対に良い学校に入れたい!
と今思い返せば躍起になっていたと思います。
幼稚園生活も最初の頃はまだ良かったと思います。面談でも特に何か指摘される事もなく、穏やかで優雅な学園のイメージ通りの生活をしていたと思います。
しかしここからが娘の今後が大きく変わる生活の始まりでした。
幼稚園生活で起きていた“いじめ”
年少さんも終わりの方へ差し掛かった頃、幼稚園の先生から
毎日何かしらのトラブルを起こしている
というお話をいただく様になりました。
お家でよく聞いてみます
と自宅で話を聞くも、あまりにも話の辻褄が合わず。
先生からのお話と娘のお話を合わせるとどうしてもこの年齢では難しい事もありました。
トラブルの内容はほとんどが上級生とのトラブルでした。
いや、トラブルとか大きく言いましたが、幼稚園生のトラブルなので
「押された」とか「嫌い」って言われたとかそんなものなんです。
しかしある日の先生からの報告の中に
宇宙一大嫌い
と娘が言った。というものがありました。
聞いた時は「そうですか…」と言ったのですが、感じた違和感。
私、子供に「嫌い」という言葉を使わずに育てておりましたので、嫌いという言葉を使っているという事に若干の違和感を覚えたんですね。
そのあとに夫に出来事を話した所、夫が
「宇宙なんて言葉知ってる?」
と言った所からこの話が急展開を迎えました。
宇宙一大嫌い
その後報告をいただいた際に、先生に
その「上級生と娘との間でのトラブル」について詳しく教えて下さいますか?
トラブルが発生する時間はいつ頃なんですか?
とお尋ねした所、歯切れの悪い先生。
後でわかったことですが結局は「上級生からの報告のみ」で先生は一度もその現場を見た事がなかったという事が発覚いたしました。
その一方で必ずトラブルが起こるタイミングは決まっており、絶対に先生が見ていない時間で発生していました。二人いる担任の片方の先生が「その問題の時間に目を離さない」と仰ってくださり、その時間に先生が発生場所に立つ様にした所、その日を境に一切トラブルが起こらなくなりました。
少し分かりづらいかもしれませんが
- そもそも娘は「宇宙一大嫌い」なんて言ってなかった
- 先生は上級生から言われたことだけを鵜吞みにしていた
- トラブルの時間は決まっていて、毎回先生が見ていないタイミングで起こる。
- その時間に目を離さずにいたらトラブルはなくなった
ということです。
ただ、こんなのはよく聞く子供同士のトラブルです。
ただですね「赤ちゃんに毛と年長さん」では出来る事も知能も全く違いますよね。年長さんになると嘘をつく知恵もつきますし。。。
鵜呑みにした先生には不信感でしたが
「沢山の子供を見ている中では仕方ないのかな」とも思いました。先生も人間ですからね。
でも先生はこの件について自分の非を認めたくないし面白くなかったのです。
そこからの園生活は
- 先生からの無視
- 身に覚えのない事での反省時間
などなど、赤ちゃんに毛は先生含む上級生から本当に色々と意地悪をされました。
正常な判断はできなくなる
それから娘はしばらく黒いクレヨンでしか絵を描かなくなり、とても無気力になりました。
勿論幼稚園を転園する事も考えましたが、やっぱりお受験って本当に大変なのでね、ものすごく苦労した経験があるので折角手に入れた環境にすがりたくなるんですよ。
正常な判断は出来なくなる。
でもこれは今思い返しても母親として最大のミスだと思っています。
この事件を境に娘は大人に簡単に心を許さない、本当に信用して良い大人かを試す子になりました。今でこそマシになりましたが、一時期は本当に大変でした。でもそれで見えた人間性もあったので良かったのかもしれませんけれど。
不登校の理由
そんな生活でしたが無事に学年も上がったある日、「不登校」を題材にしたセミナーを聞きにいく機会がありました。
セミナーのお話を要約すると、学校で何か嫌な事がある→お休みする→勉強について行けなくなる→たまに意を決して行ってみたものの話わからずもっと行きたくなくなる→お休みがどんどん増えて不登校、というループで、
- 学校で何か嫌な事がある
- お休みする
- 勉強について行けなくなる
- たまに意を決して行ってみたものの話わからずもっと行きたくなくなる
- お休みがどんどん増えて不登校
そのセミナーの先生の「不登校の子の為のお教室」では、
お勉強をすごくできる様にしたらほぼ100%で不登校が解消しました、というのが結論のお話でした。
めでたしめでたし?
「結局どこでも目に見えて結果を出す生徒が先生は好きだし大切にする」
というのは、昔から一緒で今も変わっていないのだなと思いました。
娘は登園拒否などは全くありませんでしたが、あの一件以降「イジられキャラ」になっているのは間違いなかったので、どうにかならないものかなと薄ぼんやりと思っていた所でした。
そこで、小学校に上がるタイミングでキャラを変化しようとこの時決めたのです。。
小学校デビューってやつですよ( ̄▽ ̄)
小学校デビュー??( ̄▽ ̄)
幼稚園の時はやっぱり無理なんです。
早生まれと4月位に生まれた子では学年だけ同じで別の生き物です。
できる事も全く違う。興味も違う。
「大体10歳から12歳以降に差が埋まってくる」という話をよく耳にしますが、幼稚園時代は
私は5月生まれ!
という事が自慢になったりする年代ですので(笑)人間の進化的にどうしても難しいです。
本当は低学年でも難しい事なんですが、でも外部から人が入ってくるタイミングは人間関係が変わる良いチャンスです。
このタイミングを逃さない様に、ここから準備を始める事にしました。
小学生デビューのための子供の学習方法
ここから無事に娘は小学生デビューを果たしたのですが、そこにについては長くなってしまったので分けて別記事で書きました。同時に勉強法についても詳しく書きましたので詳しく知りたい方はこちらの記事をご覧ください
私にはもうここで学ぶ事が何もない
娘が最初に入学した学校は課外活動をほぼしない学校で、それに加えて時代はコロナ。生徒達はただただ学校と家を行き来する生活でした。
娘からの問い
小学生デビューを果たした娘は学校には楽しく通っていましたが、ある時に、
このままここにいて何かが変わる日は来るのだろうか
というニュアンスの事を娘が言いました。
親的には老舗の学校に通ってくれているともうそれだけで安心感で、かつ出来るキャラのイメージも取得しましたので
このままいけば安泰だよ
みたいな事を言ったと思います。私的には状況に文句無しでした。
もう一つの特技
夫の話題はあまり出ておりませんが、娘をこよなく愛し、運動会や参観日などの学校行事には参加するなかなか良いお父さんです。ただ仕事が好きじゃないと口で言いつつ、コロナ渦でも1日も欠かさず会社に行き続けた超仕事大好き人間でもあります。
そんな夫がある時に急に纏めて休みを取り(と言っても3日くらい)3泊4日でスキーに行きました。娘は当然お休みではなかったですが、法事という事で(笑)
普段はそんなことをする家庭じゃないですからね💧笑
ちなみに音楽を始めてから年に数回しか行けていませんが、娘はスキーも検定試験jr2級に合格していてなかなか上手なのです。私はもうついていけないのでホテルで待ってる専門になりましたが、夫もスノースポーツが割と達者ですので、二人でゴンドラに乗って付き合いたてのカップルの様な自撮り写真を送ってくれます。
休み明けのテスト
そして法事の後(笑)に学校に行ったとき、休んだ間に行われたテストを休み時間を使用して行われ、また休んだ間に配られたプリントも全てその場で解答して提出するよう求められました。
3日休んだら消化するのに3日はかかるのかな
とりあえず唯一の楽しみの休み時間を取られて娘は不満一杯でした。
補足ですが、当時の娘の学校は毎日算数と漢字のテストがありました。学校教科書のテストは小テストとして行われ、基本は先生が作った問題で少しひねりがきいてる問題のテストです。
娘からの一言
そして休み時間を全て使用して行われたテストもいつも通り全て満点。この時娘に
私ここから1年学校を休んだとしても、ここでテストが出来なくなる事はないと思う。
と言われました。
コロナ渦とは言ってもただただ机に向かって同じ事を繰り返す日々に少し疲れていたのかも知れません。最初は休み時間もなかったですからね。
でも学校自体は楽しかったので、学校は息抜きだと思って行けば良いと云う事で一旦話は落ち着いたのですが、この時の担任の先生と若干相性が良くなかった事もあり、
学校は楽しい。けど。。。
という思いがあったのでしょう。
そして娘からついに
私、この学校でもう学ぶ事はないと思う
という一言が出ました。
新しい世界へ
そんな事言われてもまだすがりたい私がいましたが、というより夫の方がすがりたい気持ちがあった様な気がします。でも娘の話を聞いていると外の世界も良いかも…と思えてきました。
居心地の良い世界
幼稚園からお世話になった学校にはすっかり慣れ、私もママ友的な人たちととても上手くやっていたと思います。
学校を変わろうと考え始めた時色々学校のホームページを見ましたが、娘がここだと思う所がなかなかなく、というか、プログラムや行事はどこを見てもとても似ていました。
良いかなと思うと遠すぎたり募集がなかったり、そんなに何でも上手くはいかないものです。
その頃にふとした瞬間に後にお世話になる学校の広告を見つけ、娘に
英語の学校はどう?
と聞いてみたところ、娘が大変興味を持ったので見学に行ってみました。
第2章の始まり
この日から入学試験の為の勉強を始めました。
何かをする時は期限を決めた方が計画が立てやすいので、この時に3ヶ月後に受験をする事に決めました。このブログサイトのサブタイトルにもなっている通り、「英語力0」の娘ですから、その時から考えると無謀以外の何ものでもないですが、ダラダラと長い時間をかけると中弛みが起こると思ったので、もうやるしかないという気合いで乗り切る事にしました。
ここから先はブログ内で詳しく書いていきますが、短期間でどうにか乗り切る為に許される時間は英語の勉強に当てました。結構ストイックです。
ただこの受験には救世主がおりました。これもまた詳しく書きます。
このブログにたどり着かれた方はインターナショナルスクールを受験されようと思われて辿り着かれる方が多いかと思いますが、結果だけでいうと編入試験は試験が大変というより、私達は環境が変わったのがとても大変でした。
初めての子育ては不安がいっぱいで、なぜか失敗してはならない強迫観念にかられ、正解を模索する中で時には孤独を感じ、「ママ友」という特殊な付き合いに振り回され、あの時ああしておけば…と失敗感の連続です。でも嬉しかったり悲しかったりしながらその度に母として強くなってきた様に思います。
子育てに正解はありません。全てが自分の決めるルールです。間違えたかなと思ったら立ち止まるのもやり直すのも自由です。誰に何と言われてもお子さんのお話に耳を傾けてあげて下さい。そして信じてあげて下さい。子供は伸びしろしかないですから。
どうぞお子さんとの楽しい時間がより良いものになる様にお祈り申し上げます。