プロフィール

ぬるま湯からの脱出!kukuのプロフィール

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自己紹介

はじめまして♪
と万年反抗期のと暮らしている普通の主婦、kuku(くく)です。

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簡単に自己紹介を🎵

子供が生まれる前は、「健康でさえあれば良い…」と思っていましたが、いざ生まれてみると鼻息荒くアレコレとやってみたくなるもので、気づけば教育本を片っ端から読み、良さそうな事は何でもやってみる教育熱心ママに変貌しておりました。

娘は1歳から某大手幼児教室に入室させ、週5は他の幼児教室含めてお教室通い。頑張った結果早生まれでありつつも難関一貫校に幼稚園からご縁を頂け、お友達も多くとても楽しく日々を過ごした…と思っております。

私自身も附属校育ちでして、親になって初めて分かる親心がありつつ、お受験の渦中にいる時はどこかに入れたらこの先安心♪という気持ちがとても強かったと思います。

では何故そんな環境からインターナショナルスクールに?というお声が聞こえてきそうですが、現在に至るまでどの様に過ごしてきたのか自己紹介を兼ねてまとめてみたいと思います。

幼稚園生活での洗礼

娘は真面目ちゃんな優等生タイプではないのですが、小学校に上がってからは成績は常にトップ、テストも入学以来100点以下を取った事がなく、またバイオリンのコンクールで上位に入賞するなど、先生からも何となく信頼がある生徒で、親の私は自己肯定感爆上がりで心地の良いママ生活をしていたと思います。

…というと鼻持ちならない嫌な奴という感じだと思いますが(笑)こんな感じで小学校生活をスタートさせたかったのにはとっても深い理由がありました。

幼稚園生活のはじまり

娘は日本の学年では早生まれも早生まれの3月生まれで、赤ちゃんに毛が生えた位の状態で幼稚園に入園しました。

入園したのはTHE老舗の一貫校の幼稚園でしたので親にも子供にも厳格なルールがありましたが、私はその環境が大変心地よく、ここに通っていたらこの先大丈夫という安心感もありました。

しかし赤ちゃんに毛ですからね。やる事なす事全てが本当に遅い。でもその内に慣れていくものだろうと毎日せっせとお弁当を作り、毎日せっせと紺色に身を包んで送迎を頑張っていました。

初めての子ですからもっと一緒にいたいという思いもありましたが、世の中の風潮に流されて自分の気持ちには蓋をし、娘を絶対に良い学校に入れたい!と今思い返せば躍起になっていたと思います。

幼稚園生活も最初の頃はまだ良かったと思います。面談でも特に何か指摘される事もなく、穏やかで優雅な学園のイメージ通りの生活をしていたと思います。

しかしここからが娘の今後が大きく変わる生活の始まりでした。

幼稚園生活で起きていた“いじめ”

年少さんも終わりの方へ差し掛かった頃、幼稚園の先生から
毎日何かしらのトラブルを起こしている
というお話をいただく様になりました。

kuku
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お家の方でよく聞いてみます

と自宅で話を聞くも、あまりにも話の辻褄が合わず、先生からのお話と娘のお話を合わせるとどうしてもこの年齢では難しい事もありました。

トラブルの内容はほぼが上級生とのトラブルでした。

いや、トラブルとか大きく言いましたが、幼稚園生のトラブルなので、「押された」とか「嫌い」って言われたとかそんなものなんですが、その報告の中に
「宇宙一大嫌い」
というものがありました。

聞いた時はそうですか…と言ったのですが、感じた違和感。私、子供に「嫌い」という言葉を使わずに育てておりましたので、嫌いという言葉を使っているという事に若干の違和感を覚えたんですね。そのあとに夫に出来事を話した所、夫が「宇宙なんて言葉知ってる?」と言った所からこの話が急展開を迎えました。

その後報告をいただいた際に、先生に発生するお時間をお尋ねした所、結局は上級生からの報告のみで先生は一度もその現場を見た事がなかった、という事が発覚いたしました。

その一方で必ずトラブルが起こるタイミングは決まっており、絶対に先生が見ていない時間で発生していました。二人いる担任の片方の先生がその時間に目を離さないと仰ってくださり、その時間に先生が発生場所に立つ様にした所、その日を境に一切トラブルが起こらなくなりました。

こんなのはよく聞く子供同士のトラブルです。しかも赤ちゃんに毛と年長さんでは出来る事も知能も全く違います。年長さんになると嘘をつく知恵もつきますしね。鵜呑みにした先生には不信感でしたが、沢山の子供を見ている中では仕方ないのかな、とも思いました。先生も人間ですからね。

でも先生の方は自分の非を認めたくないし面白くなかった。そこからの園生活は、先生からの無視、身に覚えのない事での反省時間などなど、赤ちゃんに毛は先生含む上級生から本当に色々と意地悪をされました。それから娘はしばらく黒いクレヨンでしか絵を描かなくなり、とても無気力になりました。

勿論幼稚園を転園する事も考えましたが、やっぱりお受験って本当に大変なのでね、ものすごく苦労した経験があるので折角手に入れた環境にすがりたくなるんですよ。正常な判断は出来なくなる。でもこれは今思い返しても母親として最大のミスだと思っています。

この事件を境に娘は大人に簡単に心を許さない、本当に信用して良い大人かを試す子になりました。今でこそマシになりましたが、一時期は本当に大変でした。でもそれで見えた人間性もあったので良かったのかもしれませんけれど。

不登校の理由

そんな生活でしたが無事に学年も上がったある日、「不登校」を題材にしたセミナーを聞きにいく機会がありました。

セミナーのお話を要約すると、学校で何か嫌な事がある→お休みする→勉強について行けなくなる→たまに意を決して行ってみたものの話わからずもっと行きたくなくなる→お休みがどんどん増えて不登校、というループで、その先生の不登校の子の為のお教室では、お勉強をすごくできる様にしたらほぼ100%で不登校が解消しました、というお話でした。

結局どこでも目に見えて結果を出す生徒が先生は好きだし大切にするというのは、昔から一緒で今も変わっていないのだなと思いました。

娘は登園拒否などは全くありませんでしたが、あの一件以降「イジられキャラ」になっているのは間違いなかったので、どうにかならないものかなと薄ぼんやりと思っていた所でしたので、小学校に上がるタイミングでキャラを変化しようとこの時決めました。。小学校デビューってやつですよ( ̄▽ ̄)

幼稚園の時はやっぱり無理なんです。早生まれと4月位に生まれた子では学年だけ同じで別の生き物です。できる事も全く違う。興味も違う。大体10歳から12歳以降に差が埋まってくるという話をよく耳にしますが、幼稚園時代は「私は5月生まれ」という事が自慢になったりする年代ですので(笑)人間の進化的にどうしても難しいです。

本当は低学年でも難しい事なんですが、でも外部から人が入ってくるタイミングは人間関係が変わる良いチャンスです。このタイミングを逃さない様に、ここから準備を始める事にしました。

成長のタイミング

それまでお遊び体操教室以外の習い事をしていなかった娘ですが、幼稚園である程度数の概念などは身についていたので、学習はスムーズに始められた方だと思います。そしてお勉強が嫌いなタイプではありませんでした。音楽を始めたのもこの頃です。

ちょうどこの頃下級生に本を読んであげたいのに字が読めないと言い出した頃でしたので、文字を学習するのにもちょうど良いタイミングだったと思います。

これは何事もですが、子供にやる気が湧いた時に始めるのが一番タイミングとして良いと思います。最初は絵本の読み聞かせやドリルなど買ってきて使っていましたが、やり出すと止まらないタイプでしたので、今日はこれだけやろうかと言える様にプリントの終わりが見える公文の算数と国語を始めました。

公文は賛否両論がありますが、学習の始め方としては本当によく出来た教材だと思います。回し者じゃないですが、興味が湧いたら無料の体験学習など使って子供にも親のスタイルにも合っているか見てみると良いと思います。ただ小さい内は何事もですが、親がどれだけ付き合えるかというのがポイントだと思います。

心から笑える様になる事

そんなこんなでお勉強も頑張りつつ、一生懸命練習して幼児としてはまぁまぁ上手くなったバイオリン。先生からコンクールをすすめられたので挑戦した所、1年くらいの間にいくつも賞をいただく事ができ、娘も人前に立つ事が好きで楽しくなったので、始めて凄く良かったと思っています。

才能の差と努力の差

これもまた、そんな短期間で上達するなんて元々才能があったんじゃないの?と言わそうですが、そんな事は全くないと思います。ついでに言うと、私の音楽理解レベルは学校で習った音楽程度のレベルです。

先ほども書きましたが「子供が興味を持ったタイミング」で、始めたのが良かったのだと思います。あと始めたら絶対に守らなければいけないのは、

  1. 毎日コツコツ続ける事
  2. 例外を作らない事

です。

幼児の時は「親がどれだけ我慢出来るか?」が何事においてもポイントで、

今日はお出かけしたいから(遊びのお出かけ)練習はいっか♪

「お勉強はいっか♬」

とかは絶対にやらない事です。

ゆるくやるなら永遠にゆるくやった方が良いと思います。

子供が混乱しますので。そして小さい頃は良くても長い目で見るとあまり上達はしないと思います。

と、ここで思い出してください。先ほど不登校に陥るループを書きましたが、結局これも同じです。凄く出来たら楽しいので、自分から出来る様になります。ただそこのポイントとしては結局、幼いうちにどれだけ親が関われるかだと思います。

高学歴の方がインタビューなどで

高学歴の人
高学歴の人

「親から勉強しろと言われた事がない」

と仰られているのを一度は耳にされた事があると思うのですが、それこそが(親の)努力の差なのではないかなと思います。

これまで山ほど教育関連の本を読みましたが、確かに親御さんは「勉強しなさい」という言葉は使っていないかもしれませんが、声がけであったり、一緒に机に座り、子供が勉強に向かう様に思い切り試行錯誤されている方ばかりでした。それがいつしか習慣となり、自ら机や習い事に向ける様になるのではないのでしょうか。

基礎の部分は数日ではそんなに差は出来ませんが、年単位でやったらとても大きな差になりますよね。

才能の差は1%くらいでしょうか。努力の差は残りの99%だと思います。

学習の習慣

と、ちょっと話が逸れ気味になってしまいましたが、娘は「小学校入学までにキャラ変」でしたので、目標がはっきりしておりました。

年長さんくらいになるとお話もかなりはっきりしてくるので、二人三脚でも親が一人で引きずり気味に伴走している感がなくなってきます。

そして子供も出来ると楽しくなってくるので、嫌々な日はありつつも物事に向かう事が少し苦じゃなくなっているはずです。もうね、子と親の根比べみたいな所があるのでここは頑張って下さい。嫌だとか言われてもめげないで下さい。親も習慣付いてくるので大丈夫です。

スタートダッシュ

娘も(私も)日々コツコツ頑張ったので、小学校入学時には読み書き計算は数学年先まで全く問題ないレベルになっておりました。

また文字を厳しく指導される学校だったので、文字の練習もしっかりやり、小学校生活がスタートしてからは厳しいチェックもくぐり抜けて一度もお直しの再提出がない状態から小学校生活をスタートする事が出来ました。

そしてこれはたまたまの運ですが、担任の先生との相性が抜群に良かった。他の保護者からは恐れられている方でしたが、職業教師ではない物凄く愛に溢れた昭和感が若干漂う熱血さで、今でもたまに話題に出るくらい我が家には良い先生でした。この先生が娘を学年トップに導いて、自信をつけさせてくれました。

先生を信頼できる強み

基本最初に痛い目を見ましたので教師に信頼を置く事はしないスタンスでありますが、この先生がいなかったら私は今でもあの学校を選択し続けた事を後悔していたかも知れません。そして娘が活力をここまで取り戻せなかったかも知れないので、先生にはとても感謝しています。

ですので、結局は学校でも仕事でも、人との巡り合わせって本当に大事なんじゃないのかなと思うんです。

この先生はこの後定年を迎えられてしまいましたが、娘の人生に大きく関わってくださった信頼できる大人の一人だと思います。

これからもずっとここで

幼稚園から準備したキャラ変計画。お友達にも囲まれ、またバイオリンは特技と言えるほどに成長していたので、計画は成功したと言えると思います。

コロナの時代を挟んだので少し空白の時代はありますが、その時期は学習を深める時期としてお家時間を目一杯楽しみました。

その後の担任になった先生は相性が良かったり悪かったりしましたが、一度ついた「出来るキャラ」はそう簡単にはなくならないので、楽しく学校生活を送っていたと思います。出来ないキャラとしていじってきた子達もからかってくる事はなくなりました。この頃には先生から頼まれて算数の問題の解き方を前に立ってみんなに教えたりもする様になっていました。

私にはもうここで学ぶ事が何もない

娘が最初に入学した学校は課外活動をほぼしない学校で、それに加えて時代はコロナ。生徒達はただただ学校と家を行き来する生活でした。

未来のお話

学校には楽しく通っていましたが、ある時に、このままここにいて何かが変わる日は来るのだろうか、みたいな事を娘に言われた事がありました。

親的には老舗の学校に通ってくれているともうそれだけで安心感で、かつ出来るキャラのイメージも取得しましたので、このままいけば安泰だよみたいな事を言ったと思います。私的には状況に文句無しでした。

もう一つの特技

夫の話題はあまり出ておりませんが、娘をこよなく愛し、運動会や参観日などの学校行事には参加するなかなか良いお父さんです。ただ仕事が好きじゃないと口で言いつつ、コロナ渦でも1日も欠かさず会社に行き続けた超仕事大好き人間でもあります。

そんな夫がある時に急に纏めて休みを取り(と言っても3日くらい)3泊4日でスキーに行きました。娘は当然お休みではなかったですが、法事という事で(笑)

ちなみに音楽を始めてから年に数回しか行けていませんが、娘はスキーも検定試験jr2級に合格していてなかなか上手なのです。私はもうついていけないのでホテルで待ってる専門になりましたが、夫もスノースポーツが割と達者ですので、二人でゴンドラ乗って付き合いたてのカップルの様な自撮り写真を送ってくれます。

そして休んだ後学校に行ったとき、休んだ間に行われたテストを休み時間を使用して行われ、また休んだ間に配られたプリントも全てその場で解答し提出を求められました。3日休んだら消化するのに3日はかかるのかな。とりあえず唯一の楽しみの休み時間を取られて娘は不満一杯でした。

補足ですが、当時の娘の学校は毎日算数と漢字のテストがありました。学校教科書のテストは小テストとして行われ、基本は先生が作った問題で少しひねりがきいてる問題のテストです。

二度と戻らない時間

そして休み時間を全て使用して行われたテストもいつも通り全て満点。この時娘に「私ここから1年学校を休んだとしても、ここでテストが出来なくなる事はないと思う。」と言われました。

コロナ渦とは言ってもただただ机に向かって同じ事を繰り返す日々に少し疲れていたのかも知れません。最初は休み時間もなかったですからね。

でも学校自体は楽しかったので、学校は息抜きだと思って行けば良いと云う事で一旦話は落ち着いたのですが、この時の担任の先生と若干相性が良くなかった事もあり、学校は楽しい…けどという思いがあったのでしょう。

そして娘から「私、この学校でもう学ぶ事はないと思う」という一言が出ました。

新しい世界へ

そんな事言われてもまだすがりたい私がいましたが、というより夫の方がすがりたい気持ちがあった様な気がします。でも娘の話を聞いていると外の世界も良いかも…と思えてきました。

居心地の良い世界

幼稚園からお世話になった学校にはすっかり慣れ、私もママ友的な人たちととても上手くやっていたと思います。学校を変わろうと考え始めた時色々学校のホームページを見ましたが、娘がここだと思う所がなかなかなく、というか、プログラムや行事はどこを見てもとても似ていました。良いかなと思うと遠すぎたり募集がなかったり、そんなに何でも上手くはいかないものです。

その頃にふとした瞬間に後にお世話になる学校の広告を見つけ、娘に英語の学校はどう?と聞いてみた所娘が大変興味を持ったので見学に行ってみました。

第2章の始まり

この日から入学試験の為の勉強を始めました。何かをする時は期限を決めた方が計画が立てやすいので、この時に3ヶ月後に受験をする事に決めました。その時の英語力から考えると無謀以外の何ものでもないですが、ダラダラと長い時間をかけると中弛みが起こると思ったので、もうやるしかないという気合いで乗り切る事にしました。

ここから先はブログ内で詳しく書いていきますが、短期間でどうにか乗り切る為に許される時間は英語の勉強に当てました。結構ストイックです。

ただこの受験には救世主がおりました。これもまた詳しく書きます。

このブログにたどり着かれた方はインターナショナルスクールを受験されようと思われて辿り着かれる方が多いかと思いますが、結果だけでいうと編入試験は試験が大変というより、私達は環境が変わったのがとても大変でした。

初めての子育ては不安がいっぱいで、なぜか失敗してはならない強迫観念にかられ、正解を模索する中で時には孤独を感じ、「ママ友」という特殊な付き合いに振り回され、あの時ああしておけば…と失敗感の連続です。でも嬉しかったり悲しかったりしながらその度に母として強くなってきた様に思います。

子育てに正解はありません。全てが自分の決めるルールです。間違えたかなと思ったら立ち止まるのもやり直すのも自由です。誰に何と言われてもお子さんのお話に耳を傾けてあげて下さい。そして信じてあげて下さい。子供は伸びしろしかないですから。

どうぞお子さんとの楽しい時間がより良いものになる様にお祈り申し上げます。

ABOUT ME
kuku
kuku
東京都出身、現在も夫と娘と都内在住。
娘が生まれてすぐから幼児教室漬けのいわゆるガチガチの日本のお受験を経験し、難関一貫校に幼稚園から合格するも、小学校3年生になるタイミングで、娘の「ここにはもう学ぶ事がない」という一言により色々話し合った結果インターナショナルスクールへと編入を決意。
経験を元にガチガチのお受験校とインターナショナルスクールを比較します。
短期留学経験ありながら英語力は低めの元モデル。
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